攻撃性の根源

人間は、「劣等感に支配されている」といっても過言ではないと考えています。

過去の投稿で言及させていただきましたが、劣等感は、きちんと向き合えば、自己成長を促す起爆剤となります。

けれども、見て見ぬふりをすると、徐々に、心が蝕まれていきます。

劣等感に苛まれている人の特徴として、とかく言動に「敵意」や「攻撃性」が見受けられます。

それは、自己の「優位性」を示すことで、劣等感の桎梏から必死に抜け出そうとしているからです。

彼らの心は枯渇しています。

そのため、心のバランスをとる必要があるのです。

正義の使者

「クレーマー」と呼ばれる人々が存在します。

彼らが、よい例なのかもしれません。

彼らの主張は、確かに「正論」であることが少なくありません。

しかし、問題なのは、必要以上に騒ぎ立てることです。

大義名分を突きつけ、あたかも「正義の使者」であるかのような立ち振る舞いをしてきます。

相手の揚げ足を取り、自分と相手とを、「被害者」と「加害者」の関係に仕立てます。

被害者とは、保護される立場。

加害者とは、非難される立場。

つまり、彼らが「優位」となり、 相手は「劣位」となります。

このように、「優劣をつける」ことによって、自分の存在価値を高めようとするのです。

「マスク警官」、登場

また、最近では、「マスク警官」と呼ばれる人々も登場してきました。

個人的な見解ですが、「マスク警官」と「クレーマー」は、ほぼ同族であると考えています。

やはり、彼らの主張は、間違ってはいません。

しかしながら、どうも、攻撃的で、度が過ぎている感が否めません。

「わたしは正義で、あなたたちは悪だ」

ここぞとばかりに、自分の正統性を誇示します。

これもまた、「優劣のタグ付け」です。

しかし、本当の「正しさ」とは、人に押し付けることではないような気がします。

自分自身が、「どうなのか」あるいは「どうあるべきなのか」だけに、目を向けることが大切ではないのでしょうか。

そもそも、健全な心の持ち主は、決して、他人を攻撃するようなことはしません。

そういった、「本当に正しい人」が増えていくことにより、多勢に無勢となり、自ずと、「悪い人」が増殖しにくい環境が形成されていくのではないのかと考えます。

わざわざ、人を非難する必要はないのです。

「あおり運転」も然り

最後に付け加えてお伝えしたいのが、近年、大きな社会問題となっている「あおり運転」です。

「あおり運転」を引き起こしている彼らも、また、「クレーマー」や「マスク警官」と同族である可能性が非常に高いと言えます。

やはり、「敵意」や「攻撃性」が顕著です。

彼らなりの言い分もあろうかと推察されますが、行動が行き過ぎています。

実際に、あおり運転による死亡事故も起きています。

異常です。

日々、抑圧していた感情が、爆発したに相違ありません。

劣等感を放置してしまうと、感情が抑圧され続け、最後には、耐えきれず破裂してしまいます。

それが、異常行動につながるのです。

感情の抑圧によって歪んだ精神は、あらゆる場面で顕在化します。

「いじめ」、「DV(ドメスティックバイオレンス)」、「児童虐待」なども、その一端であると考えています。

劣等感を放置しない

暴力や争いごとが絶えない、すさんだ日常よりも、笑いの絶えない、穏やかな日常の方がいいに決まっています。

異常行動を起こしている人々も、本当は、それを望んでいるはずです。

程度の差はあれ、私自身を含め、劣等感のない人間など存在しません。

そこで、自分の言動に、「敵意」や「攻撃性」を感じた場合、あるいは、他人に指摘されるようなことがあった場合、一度、立ち止まり、自己を顧み、「放置された劣等感」の存在を疑ってみてもよいのかもしれません。

攻撃性は、「放置された劣等感」を隠し持っている証拠です。

その存在を認めさえすれば、心のざわつきは、いつとはなく雲散霧消し、敵意に満ちた過去の自分と、冷静に向き合えることができるはずです。